幼いころ時間はただそこにあった。
夏休みが始まった日の空に白い雲がぽっかり浮かんでいるように、ただそこにぼんやりと幸せに存在していた。
いつのまにか時間は夢をかなえるために使うものになったりした。
若くて自信に満ちた頃(驚いてしまうが私にもそんな時があった)には、ただ一心になりたい自分のイメージを明確にして、それにむかって何万時間努力をしたらなりたい自分に必ずなれると信じていた。
母を亡くしてからは時間は世界で唯一の癒しをもたらしてくれるものになった。
母を亡くした時、どんな人がどんな言葉をかけてくださっても全く悲しさは減りはしなかった。
四十九日が過ぎてもいつも下を向いて仕事をしていた。
もう一生笑うことなんてないような気がした。
あまりに悲しみが深く、父や弟とお寺さんに出向き百日の法要をしていただいた。
しばらくしてお客さんと笑って話している自分に気がついて本当に驚いた。
時間だけがゆっくりとこの悲しみから救い出してくれるんだと思った。
そんな自分のことばかり考えているうちに、赤ちゃんだった娘は高校生になり、私の髪の毛は半分以上白髪になった。
大切なものはちゃんと時間が育んでくれた。
父を亡くした時は母の時とは違いその場でたくさん泣いてたくさん悲しむようにと教訓も学んだ。
ひとつひとつの日々の出来事をゆっくり味わう人生に、どうか時間よ味方していてねと思う。